彦根城は井伊直継が慶長8年(1603)に築いた城である。井伊家は徳川家の家臣であり、関ヶ原合戦後に直継の親・直政が当地に封じられた。当初は佐和山城に本拠を置いたものの、佐和山の西方約2kmの彦根の地に新城の建設を計画した。しかし、直政は間もなく死去したため子の直継が城を築いた。
城は琵琶湖に面した彦根山に築かれた水運の良い地であった。築城に際しては、佐和山城、長浜城、大津城など近隣の城から建築物を移築した。例えば天秤櫓は長浜城の大手門を、天守は大津城の天守を移築したと伝わる。
また、築城には全国各地の大名が動員された天下普請で行われた。そのため巨大な城を築くことができたのだが、これは徳川家康が大坂城の豊臣家を警戒し、豊臣軍の東進を阻止する目的で築いたと言われる。
国宝、天守の現存する城。日本百名城。井伊直継が慶長8年(1603)に築いた城。徳川家康が大坂城の豊臣家を警戒し、豊臣軍の東進を阻止する目的で築かれた。築城に際しては、佐和山城、長浜城、大津城など近隣の城から建築物を移築した。
(2009/5/23 作成、2013/7/6 更新、2015/9/26 更新、2021/4/15更新)