観音寺城は琵琶湖東岸平野部にある丘陵に築かれた城である。築城時期は南北朝時代と伝わり、佐々木氏が支配した。城には多数の郭が存在し、それぞれに重臣の屋敷が建てられていた。また城内には創建605年と伝わる観音正寺もあり、佐々木氏(六角氏と名乗る)の保護を受けた。
戦国時代には六角氏は近江南部を支配し、天文元年(1532)には観音寺城に将軍・足利義晴を迎え、一時的に幕府が観音寺城下に移転した。また、1550年頃には城に石垣が取り入れられた。
その後六角氏は近江北部の戦国大名・浅井氏と対立し、また重臣の後藤賢豊を殺害し家臣の離反を招くなど弱体化し、永禄11年(1568)には将軍を擁した織田信長が侵攻してくると観音寺城から退去した。城はこの時に廃城となったが、天正4年(1576)には信長によって峰続きの山に安土城が築かれた。安土城は総石垣作りで築城されたが、これは観音寺城をモデルにしたと言われる。
日本百名城。佐々木氏、六角氏の本拠地。六角氏は近江北部の戦国大名・浅井氏と対立するなど弱体化し、永禄11年(1568)には将軍を擁した織田信長が侵攻してくると観音寺城から退去した。城はこの時に廃城となった。
(2009/7/19 作成、2019/5/21 更新)