朽木陣屋は、琵琶湖の西側山中にある朽木谷に開かれた陣屋である。当地は鎌倉時代から室町時代にかけて朽木氏が支配した。朽木谷は若狭から京都へ抜ける街道筋にあり、鯖街道などとも呼ばれ、日本海側の鯖など海産物を京都へ運ぶ重要な街道であった。
元亀元年(1570)、織田信長は越前の朝倉氏を攻めた際に、義弟の浅井長政に裏切られ退路を断たれたが、信長はこの朽木谷を通り京都へ無事帰還した。時の朽木氏当主・元綱はその後信長・豊臣秀吉に仕えた。関ケ原合戦では西軍に与するものの、小早川秀秋と共に東軍へ寝返り、何とか領土を保持した。江戸時代の石高は僅かに一万石に満たず、大名の条件を満たさないため交代寄合であった。そのため、城を持つ権利が無く、朽木「城」は築けずに、朽木「陣屋」を開いたのである。
琵琶湖の西側山中にある朽木谷に開かれた陣屋。当地は鎌倉時代から室町時代にかけて朽木氏が支配した。朽木谷は若狭から京都へ抜ける重要な街道であった。戦国時代に織田信長は越前の朝倉氏を攻めた際に、義弟の浅井長政に裏切られ退路を断たれたが、信長はこの朽木谷を通り京都へ無事帰還した。
(2015/9/23 作成)