大溝城は琵琶湖北西部の湖畔にある城である。この大溝城は、安土城(織田信長)・長浜城(羽柴秀吉)・坂本城(明智光秀)と共に琵琶湖の水運ネットワークの一角として機能し、天正六年(1578)には城主に信長の甥・織田信澄が据えられた。織田信澄は光秀の娘を娶っており、大溝城の縄張は光秀が行ったという説がある。光秀が本能寺の変を起こすと、信澄は四国攻めのために大坂城に在城していたが、謀反人・光秀の娘婿ということで織田信孝・丹羽長秀らに殺害された。この後、京極高次(浅井三姉妹の次女・初の夫)ら複数の城主を経たのち、大溝城はいったん廃城される。
江戸時代に入った元和五年(1619)には分部氏が当地に封じられ、大溝陣屋を開き、幕末に至った。
琵琶湖北西部の湖畔にある城。安土城(織田信長)・長浜城(羽柴秀吉)・坂本城(明智光秀)と共に琵琶湖の水運ネットワークの一角として機能し、天正六年(1578)には城主に信長の甥・織田信澄が据えられた。江戸時代に入った元和五年(1619)には分部氏が当地に封じられ、大溝陣屋を開き、幕末に至った。
(2015/9/23 作成)