1527~1555の間に建てられたが、太平洋戦争で失われ、その後再建された。城の大手門の役割を果たすが、枡形虎口に櫓門・高麗門からなる石垣造りのケースが多い日本の城とは異なり、防御性は無い。
「守禮之邦」の扁額。当初は中国からの冊封使が城に来る際にだけ掲げられたが、やがて常時掲げられるようになり「守礼門」と呼ばれるようになった。
守礼門を内側から。二重の屋根が特徴的。
守礼門の屋根を見上げる。細かい文様で彩られている。
守礼門脇の石垣
守礼門の南隣のスペース。芝生敷きでアイスクリーム屋などもあり、くつろげる空間になっている。
並び立つ石碑。「国王頌徳碑」と「眞珠湊碑文」。ともに1522年の建立。現在の石碑は2006年に復元されたもの。