浦添城は首里城の前の琉球の首都であり、舜天王統、英祖王統、冊度王統の居城であった。英祖王統時代には、城の脇に王の墓である「ようどれ」が造られた。1406年に中山王の武寧王が尚巴志に滅ぼされ、この時尚巴志は首府を首里城へ移し、浦添城は廃城となった。その後城は一部再建され浦添按司の居城となるが、慶長14年(1609)に薩摩藩の攻撃を受け焼失した。さらに太平洋戦争の際には日本軍が城跡に籠り、米軍との戦いにより浦添城とようどれ共に破壊された。
舜天王統、英祖王統、冊度王統の居城。英祖王統時代には城の脇に王の墓である「ようどれ」が造られた。中山王の武寧王が尚巴志に滅ぼされると首府は首里城へ移された。その後浦添按司の居城となるが、慶長14年に薩摩藩の攻撃を受け焼失した。
(2009/11/3 作成)