知覧城は当地の地頭・佐多氏の本拠地の城で、南北朝時代の文和2年(1353)に始まる。天正19年(1591)に城主が種子島氏に代わったが、その後城は焼失したと言われる。
慶長15年(1610)には知覧の領主に佐多氏が復帰し、久峰が現在の場所に麓を置いた。麓とは薩摩藩での支城である。この知覧麓の武家屋敷の街並みは現在まで面影を残している。
知覧麓への鹿児島方面からの入口には亀甲城が築かれ、外敵侵入に備えていた。
当地の地頭・佐多氏の本拠地の城で、南北朝時代の文和2年に始まる。天正19年に城主が種子島氏に代わったが、その後城は焼失したと言われる。慶長15年には知覧の領主に佐多氏が復帰し、久峰が現在の場所に麓を置いた。
(2008/9/25 作成)