一宇治城は島津家第十五代当主・島津貴久が天文年間に本拠とした城である。それ以前の鎌倉時代以降、伊集院郡司の紀四郎時清(伊集院時清)が最初の城主であったと言われ、時清の子孫が四代続いた後、島津一族の伊集院久兼が城主となっていた。島津貴久は天文十九年(1550)に内城に移転するまで、一宇治城を居城とした。その間、天文十七年(1549)にはフランシスコ・ザビエルがこの城内で島津貴久と面会し、キリスト教の布教の許可を得たと伝わる。
現在城跡は公園として整備されている。
一宇治城は島津家第十五代当主・島津貴久が天文年間に本拠とした城である。それ以前の鎌倉時代以降、伊集院郡司の紀四郎時清(伊集院時清)が最初の城主であったと言われ、時清の子孫が四代続いた後、島津一族の伊集院久兼が城主となっていた。島津貴久は天文十九年(1550)に内城に移転するまで、一宇治城を居城とした。
(2014/2/16 作成)