唐沢山城は佐野市の北側の山に築かれた山城で、堅固さを誇った。築城は延長年間(923~931)で藤原秀郷によるものとの伝承があるが、戦国時代初期と言う説も有力である。のちに秀郷の子孫が佐野氏を名乗り、代々唐沢山城主をつとめた。
戦国時代には北条氏、上杉氏の軍が何度も攻め寄せるが撃退した。佐野氏は秀吉が関東征伐を開始すると秀吉に、関ヶ原合戦では東軍につき家名を保った。現在見られる石垣は秀吉配下の時代に築かれたものである。江戸時代には唐沢山城から山麓の佐野城に居城を移した。
唐沢山城は関東平野一円を見渡すことのできる眺望が特徴である。ある時、江戸で発生した火災を唐沢山城から見た佐野氏は江戸に駆けつけたが、逆に江戸を見下ろす場所に城を構えている事を咎められたという逸話が残る。
佐野市の北側の山に築かれた山城で、北条氏や上杉氏の軍を何度も撃退した。関東平野一円を見渡せる眺望が特徴。江戸で発生した火災を唐沢山城から見た城主は江戸に駆けつけたが、江戸を見下ろす場所に城を構えている事を咎められたという逸話が残る。
(2007/9/29 作成、2013/1/14 更新)