児山城は姿川東岸の丘陵に築かれた城で、現在でも方形の主郭を囲む空堀と土塁を中心に遺構が残る。鎌倉時代後半(13世紀後半)に宇都宮頼綱の四男・多功宗朝が子の朝定を統治に封じ築かせたのが始まりと伝えられる。以降、朝定の子孫は児山氏を名乗り、多功氏の家臣として児山城主を務めた。
児山城は姿川東岸の丘陵に築かれた城で、現在でも方形の主郭を囲む空堀と土塁を中心に遺構が残る。鎌倉時代後半(13世紀後半)に宇都宮頼綱の四男・多功宗朝が子の朝定を統治に封じ築かせたのが始まりと伝えられる。以降、朝定の子孫は児山氏を名乗り、多功氏の家臣として児山城主を務めた。
(2013/2/2 作成)