黒羽城は大関高増が天正4年(1576)に築いた城で、那珂川と松葉川に挟まれた台地上に位置する。
大関氏は那須氏の家臣であったが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による北条氏討伐の際に北条方に付く主家・那須氏と袂を分かち、秀吉に帰順することで領地を維持した。慶長五年(1600)の関ヶ原合戦の際には東軍に付き、北隣の西軍・上杉家の侵略に備え黒羽城を修築し守りを固めた。その後も黒羽城は大関氏の本拠城として幕末までその役割を果たし続けた。なお、黒羽城は幕府からは城ではなく陣屋としての扱いであった。
黒羽城は明治維新により廃城となったが、現在でも巨大な堀と土塁を中心に遺構が残る。
大関高増が天正4年(1576)に築いた城で、那珂川と松葉川に挟まれた台地上に位置する。大関氏は那須氏の家臣であったが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による北条氏討伐の際に秀吉に帰順することで領地を維持した。その後も黒羽城は大関氏の本拠城として幕末までその役割を果たし続けた。明治維新により廃城となったが、現在でも巨大な堀と土塁を中心に遺構が残る。
(2013/1/14 作成)