関宿城は利根川と江戸川の分岐点という要衝に位置する城で、水運や軍事の拠点として機能した城である。
城の始まりは康正3年(1457)に古河公方の家臣・簗田満助が築いたものと言われる。やがて北条氏が勢力を伸ばすと古河公方と衝突し、三度に渡る関宿合戦が付近で行われた。家康の関東転封後は松平康元が封じられた。以降関宿城には江戸幕府の重臣が城主を務め、明治維新とともに廃城となった。
利根川と江戸川の分岐点という要衝に位置し、水運や軍事の拠点として機能した城。城の始まりは康正3年に古河公方の家臣・簗田満助が築いたものと言われる。家康の関東転封後は松平康元が封じられ、以降関宿城には江戸幕府の重臣が城主を務めた。
(2007/9/25 作成、2013/2/2 更新、2013/6/2 更新)