高梨氏館は信州中野に勢力を持つ豪族・高梨氏の本拠地である。館は四方に堀と土塁を備える方形館であった。当地は信濃国北辺に位置し、戦国時代には越後・上杉家と甲斐・武田家の勢力争いの的となったが、高梨氏は越後の上杉家と結び武田家に対抗した。永禄年間には武田家の軍勢に中野から駆逐され、飯山まで退却する。その後中野は武田家の支配を受けたのち、武田家を滅ぼした織田家の支配下に入るが、織田信長が本能の変で倒れると、高梨氏は中野に復帰した。その後上杉家が会津に転封されると高梨氏もそれに従い、高梨氏館は廃城になったと思われる。
現在は公園として整備され、土塁と堀が残る。また、館の東南部から庭園跡が発掘され、16世紀後半初めころに造られたものと考えられる。池や石組みの跡が残り、また庭園を囲むように建物跡が残る。
高梨氏館は信州中野に勢力を持つ豪族・高梨氏の本拠地である。館は四方に堀と土塁を備える方形館であった。当地は信濃国北辺に位置し、戦国時代には越後・上杉家と甲斐・武田家の勢力争いの的となったが、高梨氏は越後の上杉家と結び武田家に対抗した。現在は公園として整備され、土塁と堀が残る。
(2014/9/14 作成)