龍岡城は幕末の慶應三年(1867)に完成した城で、北海道の五稜郭と同じく星形の西洋式の城郭である。星形の城郭は当時西洋から持ち込まれた築城技術であり、その技術が龍岡城の築城に採用された。当時当地を支配していたのは三河奥殿藩・松平氏で、当地に奥殿藩の飛び地があったが、石高は奥殿よりも当地の方が高かった。そこで藩主の松平乗謨(のりかた)は当地に藩の本拠を移すことを考え、龍岡城を築いたのである。
しかし、間もなく明治維新を迎え、明治四年(1871)には廃城となり、城として機能したのはわずか四年程であった計算になる。
現在でも星形の城跡外郭に石垣・堀が残る他、台所が現存する。
龍岡城は幕末の慶應三年(1867)に完成した城で、北海道の五稜郭と同じく星形の西洋式の城郭である。星形の城郭は当時西洋から持ち込まれた築城技術であり、その技術が龍岡城の築城に採用された。現在でも星形の城跡外郭に石垣・堀が残る他、台所が現存する。
(2014/11/15 作成)