幕末の毛利家当主・毛利敬親が藩庁を萩から便利な山口に移転することを決め、築城された城。元治元年(1864)に完成した。
背後に詰城である高嶺城を擁する後堅固の城で、この点は萩城と似た構造であり、有事を意識して築城されたと思われる。
なお山口は元々大内氏の本拠地として栄え、その館跡が市街に残る。大内氏は31代義隆の時に、家臣陶晴隆の謀反により滅亡し、陶氏を滅ぼした毛利氏が山口に入り、その後江戸時代まで続いた。
幕末の毛利家当主・毛利敬親が藩庁を萩から便利な山口に移転することを決め、築城された城。元治元年(1864)に完成した。背後に詰城である高嶺城を擁する後堅固の城。山口は元々大内氏の本拠地として栄え、その館跡が市街に残る。
(2008/4/26 作成)