丸子城が築かれたのは南北朝時代と思われ、東海道沿いの丸子宿を見下ろす立地にあり、駿府の西側を防御する役割を担った。
今川家、武田家の支配を受け、城の拡張が行われた。城の北側は今川氏が拓き、南側は武田氏が拡張することで、現在見られる姿となった。武田家の支配した時代には、山県昌景も城主を務めたという。武田家が没落した後には徳川家康の支配を受けたが、家康が関東に移封されると廃城されたと思われる。現在でも、城跡のある三角山山頂に規模の大きい空堀、土塁などの遺構が見られる。
丸子城が築かれたのは南北朝時代と思われ、東海道沿いの丸子宿を見下ろす立地にあり、駿府の西側を防御する役割を担った。今川家、武田家の支配を受け、城の拡張が行われた。城の北側は今川氏が拓き、南側は武田氏が拡張することで、現在見られる姿となった。現在でも、城跡のある三角山山頂に規模の大きい空堀、土塁などの遺構が見られる。
(2013/2/2 作成)