福知山城のある地には、かつて横山城と呼ばれた城があり当地の豪族・塩見氏が城主であった。同じ丹波国内の赤井直正が塩見氏を滅ぼしたと伝わるが、天正7年(1579)に織田信長の部下である明智光秀によって横山城は攻略された。この時、城に石垣が築かれると共に、福智山城と名を改められ、光秀の重臣である明智秀満が城主となった。
光秀の滅亡後は豊臣秀吉の支配下に入り、江戸時代には福知山城と名を改められ、杉原家次、田中吉政、小野木重勝が城主となった。小野木重勝は関ヶ原合戦で西軍に属し敗北、代わって有馬豊氏が入った。その後福知山城は江戸時代を通じて福知山藩の藩庁として機能した。
天守台石垣には寺社の石塔などが使われているが、光秀に対して反抗的な寺社を破壊し天守台の石垣としたと言う。その石垣上に1986年に外観復元天守が建てられた。
丹波を平定した明智光秀によって築城された城。光秀の滅亡後は豊臣秀吉の支配下に入り、江戸時代を通じで福知山藩の藩庁として機能した。石垣には築城時に集めた寺社の石塔などが使われている。その石垣上に外観復元天守が建てられた。
(2007/7/1 作成、2013/9/1 更新)