宮津城は天正八年(1580)に細川藤孝が築いた城である。細川藤孝は当時は織田信長に属して活躍し、丹後国を与えられ、当地に城を築いて本拠とした。
関ヶ原合戦の際には細川氏は東軍に付くが、近隣の西軍に攻められ、細川藤孝は宮津城を焼いて舞鶴の田辺城に退去した。田辺城も西軍に囲まれ苦戦するも、関ヶ原合戦は東軍が勝利し、細川家は戦後豊前国に加増転封された。かわって宮津には京極氏が入り、京極高広によって宮津城は再建された。
その後、江戸時代を通じて宮津城は健在であったが、廃藩置県後に城は取り壊された。
天正八年(1580)に細川藤孝が築いた城。細川藤孝は当時は織田信長に属して活躍し、丹後国を与えられ、当地に城を築いて本拠とした。関ヶ原合戦の際には細川氏は東軍に付くが、近隣の西軍に攻められ、細川藤孝は宮津城を焼いて舞鶴の田辺城に退去した。関ヶ原合戦後には京極氏が入り、京極高広によって再建された。
(2014/4/27 作成)