天守の存在する天守曲輪東側に、復元された天守門が建つ。往時の天守門は天正18年(1590)に入城した堀尾吉晴が建てたものであろうか。その門は明治6年(1873)に解体、払い下げされた。
天守門が建てられる前の写真
天守門の左右両側とも隅石に巨石が用いられている。いわゆる鏡石と呼ばれるもので、城主の力を誇示するものである。
天守門の左右両側とも隅石に巨石が用いられている。いわゆる鏡石と呼ばれるもので、城主の力を誇示するものである。
巨大な鏡石を下から頑張って支えている2段の石が健気。その2つの石も結構な大きさなのだが、鏡石と比べてしまうといかにも小さい。
天守門の左右に9mずつ土塀が復元されている。写真は左手の土塀。狭間が幾つか見える
天守門が乗る石垣は天正18年(1590)に堀尾吉晴が入城後に築かれた古い貴重なもの。粗い石を組み上げた武骨なもの。
天守門の左右に9mずつ土塀が復元されている。写真は右側の土塀
天守門の屋根四隅にある隅棟鬼瓦
天守門の屋根と庇を見る。庇と門の間の隙間に、石落としがある。
平成21年度から天守門付近の発掘調査が行われ、安政元年浜松城絵図にもある天守門の礎石と、屋根瓦・鯱瓦・土塀の瓦、剥がれた漆喰などが発見された。その調査結果に基づき現在の門が再建されている。
発掘で発見された礎石の上に新しい礎石が配置され、その上に現在の天守門が建てられている
天守門の下には往時は排水溝が設けられたいたとのこと。
天守門の内側を見る。石垣の上に櫓門が乗る。石垣は平らな石を何段にも積み上げている。隅部は完全ではないものの算木積みのような積み方
天守門を内側から見る。復元された天守門の構造は、木造・櫓門・入母屋造り、本瓦葺き
天守門内側から右手の石垣を見る。隅部は完全ではないものの算木積みのような積み方
天守門を内側から見る。石垣上に登れば天守門に入れる