水堀越しに見る追手門。内堀を渡る土橋を通り櫓門である追手門に至る。近世城郭でよくある枡形虎口に一の門(高麗門)・二の門(櫓門)を備える構造ではなく、一の門とその左右の石垣が無い。また「大手門」ではなく「追手門」と表記するのも特徴。
右手前に大きく見える追手門と、左奥に天守が見える。城の正門(高知城では追手門)と天守が両方見える景観が特徴
追手門は高知城の正門に当たる門。もとは慶長年間に山内一豊が土佐に入った時に建てられたが崩れてしまい、現在の門は寛文4年(1664)に再建されたもの。享保12年(1727)の大火の際にも追手門は焼けずに残り、1801年に大改修を受けて現在に至る。1945年の太平洋戦争の際に空襲で屋根が焼けてしまったが修復された。
水堀越しに見る追手門側面。門の前のスペースの周囲を塀が囲んでいるのが見える。
追手門向かいの石垣。石垣上に壁が建つ
追手門を正面から。左右の石垣には大きな石が用いられている。江戸時代、土佐藩の郷士(下層武士)はこの追手門から中に入ることができなかった。郷士であった坂本龍馬も追手門の中には入れなかったとのこと。
追手門前の枡形。近世城郭でよくある枡形虎口に一の門(高麗門)・二の門(櫓門)を備える構造ではなく、一の門とその左右の石垣が無い。
追手門前に建つ石碑「国宝・高知城」
追手門を城内から見る。櫓門が石垣上から張り出し、木の柱で支えられている掛け造り構造になっている。
追手門の天井部分を見る
追手門の門扉。門扉や、門扉が取り付けられている柱には筋状の金属が取り付けられ強度を高めている。
追手門の門扉。門扉が金具で取り付けられている柱には大きな乳金具が3つ見える。高知城追手門の乳金具は他の城門を比べても特に大きい上に、通常は2つしかないものが3つ付いている。
追手門内側の石垣
追手門内の石垣。石垣上に登るための雁木状の階段が見える