伏見城は三度築城された。最初は1592年に豊臣秀吉が自身の隠居城のために築城したものである。この城は築城後間もなくの1596年に地震で倒壊してしまった。
秀吉は、再度倒壊した城とは位置をずらして伏見城を築城した。そして秀吉はこの城で没する。関ヶ原合戦の折にはこの城に徳川方の武将・鳥居元忠が篭城し、西軍の攻撃を受けて落城した際に焼失した。
三度目は徳川家康による築城で、1601年に再築されたが、間もなく1625年には廃城となった。現在は行楽施設として模擬天守が2棟建っている。
伏見城は三度築城された。最初は豊臣秀吉の隠居城だが地震で倒壊した。秀吉は再度伏見城を築城し、この城で没するがこれも関ヶ原合戦の折に焼失。その後徳川家康が再々建し、1625年に廃城となった。現在は模擬天守が2棟建っている。
(2007/6/11 作成、2010/8/29 更新、2011/12/18更新、2012/7/30更新、2013/4/6更新、2015/1/17更新、2017/8/12更新、2020/2/22更新、2020/5/16更新、2021/4/15更新、2022/4/27 更新)