帰雲城は飛騨国北西部の山中、庄川沿いに築かれた城である。地理的には越中に近く、今でも国道156号線が砺波平野へ向かって伸びている。城の始まりは寛正年間の1460年頃に内ヶ島為氏によって築かれたと言われる。その後内ヶ島氏理の代に至り、織田信長配下の佐々成政に従い、信長死後は成政の敵・羽柴秀吉に従うなど戦国を生き延びたが、天正13年(1585)に発生した天正の大地震により帰雲城の背後の帰雲山が大崩壊。これにより城と城下は土砂に埋没し、内ヶ島は滅亡してしまった。現在でも城がどこにあったのか特定されていない。
帰雲城は飛騨国北西部の山中、庄川沿いに築かれた城である。天正13年(1585)に発生した天正の大地震により帰雲城の背後の帰雲山が大崩壊。これにより城と城下は土砂に埋没し、内ヶ島は滅亡してしまった。現在でも城がどこにあったのか特定されていない。
(2016/10/9 作成)