本丸の奥から土橋を渡り天守曲輪へと向かう
天守曲輪へと向かう道の土橋手前に、平らで中央に丸い穴の開いた石がある。どういう役割の石であったのだろうか。
天守曲輪へと向かう石段。左手に「笠間城天守跡」の石碑が建つ
天守曲輪への石段を登る。石段を登り切ったところが天守曲輪。
天守曲輪に到達。右手に登る石段が続くが、東日本大震災による被害を受けており、訪問時には最上部へは立ち入り禁止であった。慶長三年(1598)に蒲生郷成が城主となった後に整備されたと言われる。
天守曲輪の石垣。上中下の三段の石垣が築かれて、下段石垣の隅部は算木積みとなっている。また一部東日本大震災による被害を受けビニールが架けられている
天守曲輪をさらに登る石段。右手に巨石が見える。左手の石垣にはビニールが被せられ保護されている。
加工された石が敷かれている
天守跡に建つ佐志能神社への石段は、石垣崩落・神社崩壊の危険性があることから立ち入り禁止であった。
佐志能神社への石段脇の石垣。上中下の三段の石垣が築かれて、下段石垣の隅部は算木積みとなっている。
佐志能神社への石段
最上段には現在佐志能神社がある。佐志能神社の建物は櫓を転用しているとのこと。藩主が井上正利の時(正保二年~寛文九年(1669))に天守櫓が板造りから白壁造りに改修された。
佐志能神社脇の練塀。水戸城大手門で復元されたような練塀が見られる
佐志能神社の裏手に巨石が転がる。天守曲輪の石垣はここで採石されたのだろうか。