平戸城はもとは日の岳城と呼ばれ、平戸地方を治める松浦氏の第26代・鎮信(法印)が慶長4年(1599)に築いたのが始まりである。この日の岳城は慶長18年(1613)に鎮信が自ら焼き捨ててしまった。これは江戸幕府への恭順の意を表すためであると言われる。以降松浦氏は城を持たない大名となった。
その後、松浦氏第29代・鎮信(天祥)が慶安4年(1651)頃から山鹿素行とともに城の縄張りを行い、30代・棟が幕府から築城許可を受け、享保3年(1718)に完成したのが、現在の平戸城である。
現在の天守は昭和37年(1962)に復元されたもので、他にも建造物が復元されている。
日本百名城。もとは日の岳城と呼ばれ、松浦氏の第26代・鎮信(法印)が慶長4年に築いたのが始まり。その後、第29代・鎮信(天祥)が慶安4年頃から山鹿素行とともに城の縄張りを行い、享保3年に完成したのが、現在の平戸城である。
(2008/10/19 作成)