来島城は村上水軍である来島家の本拠城。島は周囲1km程度の島であり、島全体が城であった。周囲の岩礁には船を停泊させる施設を立てるための穴が多数残る。
島は伊予・今治沖に浮かび、芸予諸島の最南部にある来島海峡を厄する。また地理的に伊予と近い事から、伊予の河野家と深い関係を結び、河野家の重臣として活躍した。豊臣秀吉が四国平定の際には秀吉に味方し、その配下として活躍するが、関ヶ原の戦いで西軍につき豊後森に転封された。
村上水軍である来島家の本拠城。島全体が城跡で、島の周囲の岩礁には船を停泊させる施設を立てるための穴が多数残る。島は伊予・今治沖に浮かび、芸予諸島の最南部にある来島海峡を厄する。豊臣秀吉が四国平定の際には秀吉に味方し、その配下として活躍するが、関ヶ原の戦いで西軍につき豊後森に転封された。
(2012/1/8 作成)