甲府城 天守台 | 日本の城写真集

甲府城 天守台 | 日本の城写真集

  • 甲府城 天守台 天守台石垣を北側から見る。隅部の傾斜は緩く、また用いられる石垣もそれほど大きく完全な算木積みではない。
  • 甲府城 天守台 天守台石垣を北側から見る。写真を撮影している場所はかつて人質曲輪のあった場所。人質曲輪には人質が居住していたのだろうか。南側に建つ巨大な天守に常に陽を遮られつつ、威圧されるように見下ろされていたのであろうか。。。
  • 甲府城 天守台 天守台石垣の西北隅を見る。天守台石垣の右側には人質曲輪があった。
  • 甲府城 天守台 天守台石垣を正面から見る。この面の石垣には一つの石を2つに割って石垣に積み込んだ「兄弟石」が幾つも見られる。
  • 甲府城 天守台 天守台に登る階段と天守入口の構造が見える。大きな鯱が出土することから天守は存在し、天守台石垣の形状やその他複合的に考えると、浅野長政・幸長が上げた四重五階の天守があったと考えられる。山手御門櫓門内には中村泰朗氏による天守の復元案図面が見られる。
  • 甲府城 天守台 天守台の上に向かって階段を登っていく。天守は入口に覆いかぶさるように建っていたので、もし敵兵が階段を登ろうとすると、頭上の天守からの攻撃を浴びたであろう。
  • 甲府城 天守台 石段を登り終わったところ。特に左側と正面にある色白な巨大な石が目立つ。左右に石垣が迫り、また往時は頭上に天守が建っていて、他の天守の入り口と同様、非常に暗い閉鎖的な空間であっただろう。
  • 甲府城 天守台 かつてはここに天守の扉があったのであろう、礎石があり、礎石には軸を受けるような穴がみられる。
  • 甲府城 天守台 天守台から振り返って本丸方向を見る
  • 甲府城 天守台 天守台に登り、右に直角に曲がると、さらに上に登る階段がある。
  • 甲府城 天守台 天守台から階段や本丸を見下ろす。天守台石垣は南北22メートル、東西16メートルと南北方向に細長い形をしている。角は直角ではない多角形であり、比較的古い時代の石垣と考えられている。
  • 甲府城 天守台 甲府城の最高地点である天守(現在は天守台)から見る城下と富士山。写真撮影した5月にはまだ雪をまとった姿が見える。しかし、甲府城から富士山と撮ろうとすると、どうも邪魔が入ってしまう。
  • 甲府城 天守台 天守台上から天守台入口を見下ろす
  • 甲府城 天守台 天守台上のようす。明治天皇御登臨之阯の碑が建つ
  • 甲府城 天守台 天守台から階段を見下ろす
  • 甲府城 天守台 天守台石垣南東隅のようす。隅部は算木積みであるが、特別大きな石が用いられている訳ではない。
甲府城写真撮影スポット紹介

天守が建っていたことは確実視され、山手御門櫓門内には中村泰朗氏による浅野長政・幸長の建てた四重四階の天守の復元案図面が見られる。

写真

天守台石垣を北側から見る。隅部の傾斜は緩く、また用いられる石垣もそれほど大きく完全な算木積みではない。

天守台石垣を北側から見る。隅部の傾斜は緩く、また用いられる石垣もそれほど大きく完全な算木積みではない。

天守台石垣を北側から見る。写真を撮影している場所はかつて人質曲輪のあった場所。人質曲輪には人質が居住していたのだろうか。南側に建つ巨大な天守に常に陽を遮られつつ、威圧されるように見下ろされていたのであろうか。。。

天守台石垣を北側から見る。写真を撮影している場所はかつて人質曲輪のあった場所。人質曲輪には人質が居住していたのだろうか。南側に建つ巨大な天守に常に陽を遮られつつ、威圧されるように見下ろされていたのであろうか。。。

天守台石垣の西北隅を見る。天守台石垣の右側には人質曲輪があった。

天守台石垣の西北隅を見る。天守台石垣の右側には人質曲輪があった。

天守台石垣を正面から見る。この面の石垣には一つの石を2つに割って石垣に積み込んだ「兄弟石」が幾つも見られる。

天守台石垣を正面から見る。この面の石垣には一つの石を2つに割って石垣に積み込んだ「兄弟石」が幾つも見られる。

天守台に登る階段と天守入口の構造が見える。大きな鯱が出土することから天守は存在し、天守台石垣の形状やその他複合的に考えると、浅野長政・幸長が上げた四重五階の天守があったと考えられる。山手御門櫓門内には中村泰朗氏による天守の復元案図面が見られる。

天守台に登る階段と天守入口の構造が見える。大きな鯱が出土することから天守は存在し、天守台石垣の形状やその他複合的に考えると、浅野長政・幸長が上げた四重五階の天守があったと考えられる。山手御門櫓門内には中村泰朗氏による天守の復元案図面が見られる。

天守台の上に向かって階段を登っていく。天守は入口に覆いかぶさるように建っていたので、もし敵兵が階段を登ろうとすると、頭上の天守からの攻撃を浴びたであろう。

天守台の上に向かって階段を登っていく。天守は入口に覆いかぶさるように建っていたので、もし敵兵が階段を登ろうとすると、頭上の天守からの攻撃を浴びたであろう。

石段を登り終わったところ。特に左側と正面にある色白な巨大な石が目立つ。左右に石垣が迫り、また往時は頭上に天守が建っていて、他の天守の入り口と同様、非常に暗い閉鎖的な空間であっただろう。

石段を登り終わったところ。特に左側と正面にある色白な巨大な石が目立つ。左右に石垣が迫り、また往時は頭上に天守が建っていて、他の天守の入り口と同様、非常に暗い閉鎖的な空間であっただろう。

かつてはここに天守の扉があったのであろう、礎石があり、礎石には軸を受けるような穴がみられる。

かつてはここに天守の扉があったのであろう、礎石があり、礎石には軸を受けるような穴がみられる。

天守台から振り返って本丸方向を見る

天守台から振り返って本丸方向を見る

天守台に登り、右に直角に曲がると、さらに上に登る階段がある。

天守台に登り、右に直角に曲がると、さらに上に登る階段がある。

天守台から階段や本丸を見下ろす。天守台石垣は南北22メートル、東西16メートルと南北方向に細長い形をしている。角は直角ではない多角形であり、比較的古い時代の石垣と考えられている。

天守台から階段や本丸を見下ろす。天守台石垣は南北22メートル、東西16メートルと南北方向に細長い形をしている。角は直角ではない多角形であり、比較的古い時代の石垣と考えられている。

甲府城の最高地点である天守(現在は天守台)から見る城下と富士山。写真撮影した5月にはまだ雪をまとった姿が見える。しかし、甲府城から富士山と撮ろうとすると、どうも邪魔が入ってしまう。

甲府城の最高地点である天守(現在は天守台)から見る城下と富士山。写真撮影した5月にはまだ雪をまとった姿が見える。しかし、甲府城から富士山と撮ろうとすると、どうも邪魔が入ってしまう。

天守台上から天守台入口を見下ろす

天守台上から天守台入口を見下ろす

天守台上のようす。明治天皇御登臨之阯の碑が建つ

天守台上のようす。明治天皇御登臨之阯の碑が建つ

天守台から階段を見下ろす

天守台から階段を見下ろす

天守台石垣南東隅のようす。隅部は算木積みであるが、特別大きな石が用いられている訳ではない。

天守台石垣南東隅のようす。隅部は算木積みであるが、特別大きな石が用いられている訳ではない。

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日本100名城公式ガイドブック

甲信越の名城を歩く 山梨編 山下孝司、平山優編集

山梨の古城 岩本誠城著

レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版 來本雅之著

よみがえる日本の城11

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