乾門一之門を抜けると枡形内へ。枡形内部の広さは東西13m、南北12mである。向こう側の土塁の切れ目は枡形の奥側の門である二之門が建っていた。
乾門左手(北側)の土塁。奥は東側の土塁で北側に比べて高くなっている。
乾門二之門からは左右それぞれ3個ずつの礎石が発見された。通常の城門の礎石は4個であり珍しい。発見した遺構は埋設保護した上で、発掘結果を復元展示している。
乾門二之門の復元案が表示されている。新府城は大国武田家の首都たるべく造られた城、どんな立派な門が建っていたのだろうか。
乾門二之門外から枡形内を見る。発掘結果から二之門は燃えて倒壊したことが判明、勝頼が織田軍の侵攻を前に城を焼いた際の痕跡であろうか。
乾門二之門外から枡形内を見る。かつては土塁は鋭く立ち上がり、門により密着した形であったと言う。
乾門二之門を超えても北側には土塁が伸びる。奥に行くと橋脚台へ至る
乾門の枡形を奥に進むと、対岸へ渡した木橋の橋脚台跡が残る。筆者が訪問した5月には草生して遺構の判別が難しい状態。
乾門から土橋を渡って城内へ。
木橋跡の対岸側には案内板がある