新府城 | 日本の城写真集

新府城 | 日本の城写真集

新府城

甲斐国山梨県 / 収録写真枚数:103枚

新府城は武田勝頼が甲府の躑躅ヶ崎館に代わって甲斐の新しい首都として築いた城である。築城した天正9年(1581)は対織田・徳川戦が激化しており、万一本国への侵攻を許した際に侵攻軍に対抗するための巨城であった。城は塩川と釜無川に挟まれた七里岩と呼ばれる巨大かつ急峻な台地上に築かれ、難攻不落の地であった。
しかし、首都機能を躑躅ヶ崎から移転した数か月後に織田・徳川の武田領侵攻が本格化し、勝頼は自ら築城間もなくの新府城を焼き払い城を退去した。或いは新府城はこの時未完であったともいわれる。その後勝頼は郡内を目指すが、天目山にて自刃した。
武田家滅亡後、甲斐は織田信長の支配下に入るが、間もなく織田信長が本能寺の変で倒れ、織田勢力は甲斐から退いた。代わりに武田氏の遺領は徳川・北条の両氏の争うところとなり、徳川氏はこの新府城に布陣し北条氏と対陣した。その後徳川氏と北条氏は和睦し甲斐は徳川氏が支配するところとなるが、徳川家臣で甲斐支配を任された平岩親吉は新府城は使わずに躑躅ヶ崎館に入った。

武田勝頼が躑躅ヶ崎館に代わる甲斐の新しい首都として築いた城。城は塩川と釜無川に挟まれた七里岩と呼ばれる巨大かつ急峻な台地上に築かれ、難攻不落の地にあった。首都機能を躑躅ヶ崎から移転した数か月後に織田・徳川の武田領侵攻が本格化し、勝頼は自ら築城間もなくの新府城を焼き払い城を退去した。或いは新府城はこの時未完であったともいわれる。

(2008/11/19 作成、2019/5/5 更新)

新府城の写真撮影スポット

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新府城付近の地図

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