主郭東の大手門の土塁は多くが江戸時代以降に田畑や宅地とするために崩されたが、現在は発掘調査で検出された基底部をもとに土塁が復元されている。
武田氏館の外側を囲う堀を惣堀と呼ぶが、東側惣堀の外を走る鍛冶小路から入る大手虎口が南北2つあり、それぞれ土橋で惣堀を渡っていた。そのうちの南側虎口を外側から見る。
南側虎口を内側から見る。土橋手前の左右が土塁に挟まれたところに門があったことが、門の礎石が発見されたことで分かった。南側虎口は北側虎口と比べて土橋の幅が狭い。
惣堀の外に面する土塁を見る。土塁の両側に土留の石積みがあり、それらが検出されたことで土塁の規模を推測することができた。新緑眩しい季節の訪問であったが、冬であれば草は少なく土塁の形がくっきり見ることができるだろうか。
惣堀の外を走る鍛冶小路から入る虎口が2つあり、それぞれ土橋で惣堀を渡っていた。そのうちの北側虎口を見る。土橋が石垣造りである。
惣堀の外を走る鍛冶小路から入る虎口が2つあり、それぞれ土橋で惣堀を渡っていた。そのうちの北側虎口を外側から見る。
大手北虎口から北方を見る。惣堀が左に折れている。
大手北虎口の南側土塁を見る。かつては土塁手前に門が建っていた。
北側の虎口は土橋を渡ったところから石段が発掘され、復元展示されている。
大手の北を守る土塁を右手に、左手には大手内の空間を見る
大手内から東側を見る。正面に惣堀手前の土塁が見える。
大手北側の土塁上から大手を見下ろす。曲輪の南側は土塁が無く大きく開かれている。