武田神社の正面入口のようす。武田神社は武田信玄公を御祭神として祀る神社で、かつての躑躅ヶ崎館の地にある。この入り口には石垣が築かれ朱色の橋が架かるが、往時には存在せず、大正時代に神社が創建された際に参道として造られたものである。
主郭南側の水濠のようす。右が主郭。今は鬱蒼とした樹木で覆われている。
主郭のすぐ南には穴山信君屋敷跡がある。信君は武田勝頼の従兄弟で、1582年の武田家滅亡に際し離反した。1582年2月25日、織田・徳川軍による武田領侵攻が進む中、信君は穴山屋敷から人質である妻(信玄娘)と息子を迎えるために家臣を送り込み、混乱の中帰還を果たした。この主郭に接する中心地で、そのような重大事件が発生していたということになろう。
主郭南東隅のようす。主郭には木が生い茂り、周囲を水濠が囲う
主郭東側の虎口。往時の大手に当たる。深い堀を土橋で渡っており、今は車が通れる舗装された道になっている。
主郭東虎口の右手にある主郭土塁
東虎口から主郭に入る。武田信玄も居住した館跡に足を踏み入れる。
主郭のようす。武田信虎による築城時は、ここ主郭のみ、将軍邸である花の御所(室町第)と同じ方形居館であった。
現在主郭にあるのは武田神社
姫の井戸。信玄の娘が誕生した際に産湯に使用したとの伝承が名づけの由来と言われる。