かつては「鳥谷ヶ崎城」と呼ばれ、室町期には稗貫氏が城主であった。しかし、豊臣秀吉の関東征伐の際に稗貫氏は秀吉の派兵の求めに応じず、戦後改易され、かわって南部氏の所領となった。このとき、家臣の北秀愛が城主となり、また城名を花巻城と改めた。秀愛は早世し父の信愛が継いだ。
関ヶ原合戦時には稗貫氏の残党が蜂起し、落城の危機に瀕するが、信愛がよく防戦し城を守りきった。以降花巻城は南部藩の支城として江戸時代を通じて役割を果たした。
かつては鳥谷ヶ崎城と呼ばれ稗貫氏が城主であった。豊臣秀吉の関東征伐の際に稗貫氏は改易され、南部氏の所領となった。このとき城名を花巻城と改めた。以降南部藩の支城として江戸時代を通じて役割を果たした。
(2008/7/21 作成)