島津家は豊臣秀吉の九州征伐で降伏し、時の当主であった島津義久は降伏の意を表すために隠居した。その際に隠居城として築かれたのが富隈城である。城の防御性は高くなく、関ヶ原合戦後に徳川軍が攻め寄せて来た場合に備えるため、富隈城は廃城され、かわりに国分城が築かれた。
非常に海に近いながらも小高い山を利用して築かれた平山城で、眺めがとても良い。現在でも野面積みの石垣が残る。
島津家は豊臣秀吉の九州征伐で降伏。島津義久は降伏の意を表すために隠居し、その隠居城として築かれたのが富隈城である。城の防御性は高くなく、関ヶ原合戦後に徳川軍が攻め寄せて来た場合に備えるため、富隈城は廃城され、国分城が築かれた。
(2008/9/24 作成)