本丸から天主台に至る石段。天主に居住した織田信長も日々この石段を昇降したのだろう。
木漏れ日の中の石段を一段ずつ踏みしめて登る
何度かの屈曲をへて天主台に至る
「天主閣址」の石碑が見える。「天主」という文字を使うのは安土城だけ。通常は「天守」である。通常城主は天守には居住しないが、信長は天主に居住した。
石段の踊場には石が敷き詰められている。この石は越前国でしか取れない笏谷石で、越前を平定した信長の重臣・柴田勝家が進上したものと言われる。石の数は14個で、長方形をしており、厚さは5cm程と薄く、表面はのみで平たく細工されている。中央付近の石は割れてしまっているが、両脇の石には割れずに残っているものがある。
ここで道は右に折れて進む。手前に笏谷石の敷石が見え、その左右には門の礎石がある。内開きの門があったと言う。礎石の奥にある3つの石は門が開かないので後世に階段を登りやすくするために置かれた石と思われる。
天主台跡が見えてきた