八幡山城は天正13年(1585)に豊臣秀吉の甥・秀次が築いた城である。当時秀次は秀吉の後継者であった。城は近江平野の八幡山に築かれ、安土から町を移して城下町を作った。城下町には水堀を兼ねた水路が整備され、今日でもその面影を残す。
秀次は天正18年(1590)に尾張清洲へ加増転封され、かわって京極高次が入封したが、文禄4年(1595)に居城を大津城へ移したため、八幡山城は廃城となった。この文禄4年には秀次は子の産まれた秀吉に疎んじられ、その命により切腹している。廃城後も城下は商人の町として栄えた。
天正13年に豊臣秀吉の甥・秀次が築いた城。城下町には水堀を兼ねた水路が整備され、今日でもその面影を残す。秀次にかわって京極高次が入封したが、居城を大津城へ移した。そのため廃城となったが、廃城後も城下は商人の町として栄えた。
(2009/7/19 作成)