八幡山西曲輪には小田原駅西口から向かう。西口には北條早雲像がある。後北条家の祖で、駿河・伊豆から相模小田原に進出。早雲の子の氏綱の代に小田原が北条家の本拠城となった。なお、早雲自身は北条を名乗らず、伊勢姓を名乗った。
八幡山西曲輪には小田原駅西口から向かう。西口には北條早雲像がある。この像は早雲(伊勢宗瑞)が小田原城を攻めた際に用いた「火牛の計」、千頭の牛の角に松明をつけて軍勢を多く見せかけたという江戸時代の逸話に基づいて建てられたもので、北条早雲の深謀遠慮を語る像になっている。
小田原駅西口から西曲輪に向かう。信号を渡り城山中学校左脇の坂道を登っていく
城山中学校入口交差点付近に八幡曲輪の石碑が建つ。城山中学校と言う名が、かつてここに城があったことを示している。
小田原駅西口から西曲輪に向かう道は階段に変わり、相当な高度を稼ぐ。
小田原高校の敷地の発掘が2008年に行われ、戦国時代の遺構が発見された。西曲輪西堀もその一つで、障子堀が発見された。高校の敷地内には散策路が設けられ、遺構を見学できる。
三味線堀は西曲輪北側の虎口を形成する堀で、3つのL字型の堀で構成される。そのうちの中堀が発見され杭と綱で平面表示している。