真田丸の北端付近と思われる個所。右手が一段高くなっており、真田丸の跡地に当たる。
先の写真の地点から進むと、心眼寺坂との交差点に出る。右手に進むと真田丸顕彰碑へ、正面右手の段上も真田丸跡。
心眼寺坂を登る。往時は大坂城から真田丸内へ進む道であったと思われる。坂の左手に心眼寺、右手に大阪明星学園がある。
大河ドラマ「真田丸」放映に合わせ、平成28年1月に真田丸顕彰碑が建てられた。正面の絵は大阪明星学園の校舎の壁に描かれた真田幸村。
長らく真田丸がどこにあったのか不明であったが、近年の調査で大阪明星学園の敷地付近に相当することが分かり、学園脇には顕彰碑も建てられている。
心眼寺。往時にも真田丸内には寺が幾つか建っており、兵舎などとして使われたものと思われる。
六文銭の幟が建つ。石碑には「真田幸村 出丸城跡」とある。
心眼寺境内には真田幸村(真田左衛門佐豊臣信繁)の墓が建つ
三光神社。真田幸村の像や伝説の抜け穴などがある
三光神社の真田幸村像。大坂城は西・北・東は川や運河などがあり守りが堅かったが、南方だけは地続きになっており弱点であった。豊臣と徳川の対決を控えた慶長19年(1614)に豊臣方の将・真田信繁がその弱点の南方に守備の拠点として築いたのが真田丸である。大坂冬の陣では徳川方の大群が攻めかかるが真田丸を拠点に豊臣方は見事撃退した。その後両軍の講和に伴い真田丸は破却された。
三光神社の伝説の抜け穴