琵琶湖北部に浮かぶ竹生島。ここに秀吉時代の大坂城の建築物が移築されている。
竹生島には平地がほぼ無く、山肌に沿って建物が立ち並ぶ。唐門が右手に見える
竹生島には彦根、長浜などから船で行く
唐門を麓から見上げる。ここからも煌びやかな様子が望める
唐門を上から見下ろす。三重塔から階段を下っていくとやがて唐門の柔らかな曲線の屋根が見える
唐門を正面から見る。唐門は大坂城から移築された事がほぼ確実だと思われる。かつては大坂城の本丸北側に架かる極楽橋の入り口部分で、建築は慶長元年(1596)である。当時は豊臣秀吉が生存しており、この門は秀吉が建て、さらに京都から大坂城に入る際等に何度もなく通ったのだろう。秀吉死後の慶長5年(1600)にこの門は京都の豊国廟(秀吉の墓所)に移築され、さらに慶長7年に現在の場所に移築されたものと考えられている。
唐門の上部。黒漆塗りに金鍍金で飾られ、鳳凰や牡丹などの彫刻が鮮やかに彩色されている。唐門はかつては大坂城本丸に北から渡る極楽橋の一部であった。このような鮮やかな門が京から大坂城に入る人を迎え、圧倒したのであろうか。秀吉時代の大坂城の建築が残るのは、ここ竹生島のみであり、大変貴重なものである。
唐門の扉。黒漆にピンクと緑の彩色が映える。秀吉死後の慶長5年(1600)にこの門は京都の豊国廟(秀吉の墓所)に移築され、京都市街で秀吉の威光を示していた。その2年後に竹生島に移築されたのは、1600年の関ケ原の合戦で勝利した徳川家康が豊臣秀吉の威光を京都市街から拭い去るためだとも言われる。
唐門の屋根を見上げる。非常に煌びやか
唐門の装飾…黒漆に金飾り、そしてピンク、緑、青、白…様々な色が用いられている