大手門付近の様子。正面石垣に突き当り右に曲がると門がある
大手門右脇の石垣
大手門を外側から見る。仙石秀久が小諸城城主であった慶長17年(1612)頃の建築。当時は瓦葺の門は珍しく「瓦門」とも呼ばれた。明治維新後、改装し使用されていたが平成20年に復元された。この際に明治後に改装された箇所を、享保五年(1720)の修理記録などに従い往時の姿に戻された。
大手門右脇の石垣。大手門上の櫓門部分と石垣は接してなく、木の仕切りが設けられている。通常櫓門脇の石垣の高さは櫓門の床の高さと同じなので、往時と現在では石垣の高さが異なるのかもしれない。
大手門左脇の石垣。大手門上の櫓門部分と石垣は接してなく、木の仕切りが設けられている。石垣は落とし積みで後世に築かれたもの。
大手門を外側から見る。この門は四之門とも、また当時瓦葺の屋根が珍しく「瓦門」とも呼ばれた。頭上に通常ある石落としが無い。
大手門を外側から見る