小諸城 天守台 | 日本の城写真集

小諸城 天守台 | 日本の城写真集

  • 小諸城 天守台 本丸西側の石垣、北端付近のようす。天守台へ登る階段が見える
  • 小諸城 天守台 天守台へ登る階段。この階段で本丸から天守台に上がることができる
  • 小諸城 天守台 本丸からの階段を登ると、さらに天守台へ登る石段があるが、これは後世のもの。往時は天守には石段からではなく、付櫓がありそこから天守に入る構造であった。
  • 小諸城 天守台 天守跡の石碑。天正十三年(1585)に三層の天守が完成したが、寛永三年(1626)に落雷により焼失、その後再建されなかったと言われる。仙石氏時代のものと思われる金箔桐紋の瓦が発見されたことから、天守に金箔瓦が使用されていたと思われる。
  • 小諸城 天守台 天守台から下を覗き込む。天守台石垣の隅部が見える
  • 小諸城 天守台 天守台から下を覗き込む。相当の高さで脚がすくむ
  • 小諸城 天守台 天守台石垣。文禄・慶長期の古い石垣である。石垣の高さは約7.5mある。天守台の広さから三重天守が建っていたか。
  • 小諸城 天守台 天守台石垣西面を見る
  • 小諸城 天守台 天守台石垣を西側から
  • 小諸城 天守台 天守台石垣を南西側から見る
小諸城写真撮影スポット紹介

天正十三年(1585)に三層の天守が完成したが、寛永三年(1626)に落雷により焼失、その後再建されなかったと言われる。仙石氏時代のものと思われる金箔桐紋の瓦が発見されたことから、天守に金箔瓦が使用されていたと思われる。

写真

本丸西側の石垣、北端付近のようす。天守台へ登る階段が見える

本丸西側の石垣、北端付近のようす。天守台へ登る階段が見える

天守台へ登る階段。この階段で本丸から天守台に上がることができる

天守台へ登る階段。この階段で本丸から天守台に上がることができる

本丸からの階段を登ると、さらに天守台へ登る石段があるが、これは後世のもの。往時は天守には石段からではなく、付櫓がありそこから天守に入る構造であった。

本丸からの階段を登ると、さらに天守台へ登る石段があるが、これは後世のもの。往時は天守には石段からではなく、付櫓がありそこから天守に入る構造であった。

天守跡の石碑。天正十三年(1585)に三層の天守が完成したが、寛永三年(1626)に落雷により焼失、その後再建されなかったと言われる。仙石氏時代のものと思われる金箔桐紋の瓦が発見されたことから、天守に金箔瓦が使用されていたと思われる。

天守跡の石碑。天正十三年(1585)に三層の天守が完成したが、寛永三年(1626)に落雷により焼失、その後再建されなかったと言われる。仙石氏時代のものと思われる金箔桐紋の瓦が発見されたことから、天守に金箔瓦が使用されていたと思われる。

天守台から下を覗き込む。天守台石垣の隅部が見える

天守台から下を覗き込む。天守台石垣の隅部が見える

天守台から下を覗き込む。相当の高さで脚がすくむ

天守台から下を覗き込む。相当の高さで脚がすくむ

天守台石垣。文禄・慶長期の古い石垣である。石垣の高さは約7.5mある。天守台の広さから三重天守が建っていたか。

天守台石垣。文禄・慶長期の古い石垣である。石垣の高さは約7.5mある。天守台の広さから三重天守が建っていたか。

天守台石垣西面を見る

天守台石垣西面を見る

天守台石垣を西側から

天守台石垣を西側から

天守台石垣を南西側から見る

天守台石垣を南西側から見る

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