三の丸の排水溝。排水溝の蓋の部分が見えている。三の丸の雨水などはこの排水溝に集まる。排水溝の先には石樋があり、排水溝を流れた水が石樋から落ちる構造。
三の丸に降り溜まった水は、排水溝を伝い石樋から石垣下に排水される。排水溝の側面には自然石、蓋には切石が用いられている。
三の丸石垣から排水溝が飛び出しているのが見える
三の丸に展示されている長宗我部時代の石垣。平成12年からの三の丸石垣改修工事に先立つ調査の際に発見された。今の石垣よりも用いられている石が小さい。また豊臣家から拝領したと推定される桐紋瓦も出土し、織豊系城郭であったことを示しているか。長宗我部氏が居城したのは1588年から3年のみで、浦戸城に移った。その後山内氏が高知城を築く際にこの石垣の前に盛り土をし、曲輪を拡張して新たな石垣を築いたと思われる。
三の丸のようす。三の丸は城内で最も広い面積を持ち。かつて三の丸御殿があり、ここが藩政の中心を担った。北東住には丑寅櫓が建てられ防御の要であった、
三の丸を天守から見下ろす。三の丸は城内で最も広い面積を持ち。かつて三の丸御殿があり、ここが藩政の中心を担った。藩主は三の丸の一段上にある二の丸御殿に居住し政務を執った。