現在の淀城は徳川二台将軍秀忠の代に、伏見城を廃城するかわりに当地に築かれた城で、寛永2年(1625)に完成した。後に稲葉氏が城主となり幕末を迎えた。
それ以前にも淀の別の場所に城は存在していた。この城は秀吉の側室である茶々に与えられたため、茶々は淀殿と呼ばれるようになった。
往時には近くを流れる淀川から城内に水を引くための水車があった。また五重五層の天守があった。現在は天守台石垣を含む本丸付近が残り、すぐ脇には京阪淀駅がある。
現在の淀城は徳川二台将軍秀忠の代に、伏見城を廃城するかわりに当地に築かれた城で、寛永2年(1625)に完成した。後に稲葉氏が城主となり幕末を迎えた。それ以前にも淀の別の場所に城は存在していた。この城は秀吉の側室である茶々に与えられたため、茶々は淀殿と呼ばれるようになった。
(2007/6/11 作成)