宇陀松山城 | 日本の城写真集

宇陀松山城 | 日本の城写真集

宇陀松山城

大和国奈良県 / 収録写真枚数:44枚

  • 宇陀松山城 春日門跡
  • 宇陀松山城 城跡への道
  • 宇陀松山城 本丸への道
  • 宇陀松山城 大手口
  • 宇陀松山城 本丸
  • 宇陀松山城 天守台
  • 宇陀松山城 松山西口関門(黒門)
宇陀松山城の写真撮影スポット紹介

宇陀松山城は戦国時代に宇陀三将の一角・秋山氏が本拠を置いた城で、秋山城とも呼ばれる。織田信長の死後、天下を握った羽柴秀吉の弟・秀長が大和を治めるようになると、当地も秀長の領地となった。関ヶ原合戦後には、福島正則の弟・高晴が城主となり三万石の領地を治めたが、大坂の陣で豊臣方への内通を疑われ改易された。その際に宇陀松山城は廃城された。その後、当地は織田信長の次男・信雄の所領となり、松山陣屋が開かれた。のちに織田家が転封されると、天領となった。

戦国時代に宇陀三将の一角・秋山氏が本拠を置いた城。織田信長の死後、羽柴秀吉の弟・秀長が大和を治めるようになると、当地も秀長の領地となった。関ヶ原合戦後には、福島正則の弟・高晴が城主となったが、大坂の陣で豊臣方への内通を疑われ改易され、その際に廃城された。その後、当地は織田信長の次男・信雄の所領となり、松山陣屋が開かれた。

(2013/4/14 作成)

宇陀松山城付近の地図

[PR]宇陀松山城が載っている本

続日本100名城公式ガイドブック 公益財団法人 日本城郭協会 監修

近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編 仁木宏、福島克彦編集

城から見た信長 千田嘉博、下坂守、河内将芳、土平博著

石垣の城を極める!~廃城をゆく 6~

廃城をゆく4

日本の山城100名城 かみゆ著

よみがえる日本の城1

おすすめの本一覧へ
Page Top