三の丸西側の空堀と土塁。当時は城内と城下を隔てていた。三の丸は非常に広大な面積で、かつては全体に弘道館であった。現在は弘道館は約1/3の規模に縮小され、他には三の丸小学校、図書館、市民センター、茨城県三の丸庁舎(旧県庁舎)などがある。
三の丸西側の空堀と土塁。非常に規模が大きいものが現存している。
道路脇の三の丸空堀と土塁。現在の三の丸まで城域を広げたのは天正18年(1590)に水戸城を新たな本拠城とした佐竹氏である。三の丸からこの堀を隔てて西側は町屋、東側は城内とこの堀は重要な役割を果たした。
三の丸西側の空堀と土塁。非常に規模が大きいものが現存している。
三の丸の土塁
三の丸庁舎(旧県庁舎)は昭和五年(1930)に建てられたもの。かつてここには弘道館の調練場があり砲場、弓砲場、厩などがあった。
三の丸には小学校があり、その名も三の丸小学校である。三の丸小学校の校門は冠木門となっている。かつては武術を修練するための校舎が三棟建っていたが、弘道館戦争で焼失してしまった。