水戸城は徳川御三家の城として知られる。元々は馬場氏、江戸氏の居城であったが、豊臣秀吉による関東征伐の際に江戸氏が北条氏側についたため、戦後江戸氏は改易され、常陸の戦国大名・佐竹氏の城となった。佐竹氏は居城を常陸太田城から水戸城に移し、改修を行った。
佐竹氏は関ヶ原合戦後に出羽に転封となり、代わって家康の五男・武田信吉が入り、信吉が若くして亡くなると十男・頼宣、次いで十一男・頼房が入った。この頼房が水戸徳川家の始祖となり、その子孫が幕末まで水戸城主を務めた。水戸黄門として知られる徳川光圀は、頼房の三男で水戸藩の2代藩主である。
関東の城らしく、石垣の無い土造りの城であった。また天守は建てられず、天守代用の御三階が二の丸に建てられていた。
日本百名城。徳川御三家の城として知られる。元々は馬場氏、江戸氏、佐竹氏の城であったが、佐竹氏は関ヶ原合戦後に出羽に転封となり、代わって家康の五男・武田信吉、十男・頼宣、次いで十一男・頼房が入った。この頼房が水戸徳川家の始祖である。
(2007/10/8 作成、2014/5/18 更新)