南仕切門跡。もとは二の丸南部への出入り口にあたり、左右の石垣の間に南仕切門とよばれる城門があった。右側の石垣の上に、太鼓を蔵する小さな二階櫓があり太鼓櫓と呼ばれていた。
南仕切門跡
南仕切門跡の石垣
南仕切門跡の石垣
石山本願寺推定地。明応五年(1496)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立した。天文元年に山科本願寺が焼き打ちされると、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展し、広大な寺内町が造営された。これが大阪の原型となったと考えられる。その後十一世顕如の時代に信長との石山合戦に敗れ、本願寺教団は石山本願寺を退去し、のちに京都堀川に移転する。