黒井城の山麓にある興禅寺は、かつて戦国時代の居館跡である。
興禅寺(かつての黒井城居館跡)の前面には七間堀と呼ばれる水濠があり、石垣が築かれている
丹波を治めた明智光秀の家臣で黒井城主斎藤利三は、当地で娘が産まれたが、この子はのちの春日局であった。
明智光秀に敗れた赤井直正も現在の興禅寺に平時の居館を構えていたと言う。戦時には背後の山城に籠城した
興禅寺(かつての黒井城居館跡)門前に架けられる石橋
山上に黒井城の石垣が見える
興禅寺(かつての黒井城居館跡)境内のようす
興禅寺(かつての黒井城居館跡)本堂
興禅寺(かつての黒井城居館跡)庫裏
興禅寺(かつての黒井城居館跡)の鐘楼。戦国時代の黒井城主・赤井直正の子・直義は、江戸時代には藤堂家に仕えていたが、寛永年間に先祖供養のためにこの鐘楼を建て、梵鐘を寄進した。現在の鐘楼は大正2年に改築されたもの